累(かさね)のネタバレ解説・考察まとめ

『累(かさね)』は、松浦だるまによるサスペンスホラー漫画。今は亡き美人女優「淵透世(ふち すけよ)」の実の娘である累。彼女の顔は、名声を得た母親からは似ても似つかぬほど醜かった。しかし母譲りの天性の演技力を持つ主人公は、「口づけをした相手と顔と声を入れ替えることができる」口紅の力を使い、淵透世の再来と呼ばれるほど美人女優として活躍していく。恐ろしいまでの「美」への執着、渇望。「美」を手に入れた際に放つ圧倒的な輝き。一人の女性が「美」に取り憑かれていく様が描かれている。

『累(かさね)』の概要

『累(かさね)』は、松浦だるまによるサスペンスホラー漫画。『イブニング』(講談社)にて、2013年10号から2018年17号まで連載された。
今は亡き偉大なる美人女優「淵透世(ふち すけよ)」の実の娘である主人公「淵累(ふち かさね)」。しかし彼女の顔は、その美貌から名声を得た実の母親からは似ても似つかぬほど醜かった。その醜さから小学校でもいじめられ絶望する累。そんな累の脳内に亡き母の声が響く。「口紅を塗って あなたのほしいものに くちづけを」と。その言葉のとおり学芸会にて美人の同級生にくちづけをした累は、くちづけをした相手と顔を入れ替え、舞台に立った。母から受け継いだ口紅は、くちづけをした者と顔を入れ替えることができると知った累。伝説の女優から引き継いだ天性の演技力を見せつけると同時に美貌に対する羨望の眼差しを受けながら舞台に立つ喜びを覚えた。そして母親の美貌もまた他人から奪ったものであることに気づくのだった。顔を入れ替えることにより手に入れた仮初の「美」。本来の容姿に向けらていた嫌悪、蔑みの視線は羨望へと変わっていく。次第に「美」への欲望に飲み込まれた主人公の数奇な運命が描かれている。「美醜」という難しいテーマに大胆に切り込んだ作品であり、「美しいものは本当に美しく、醜いものは本当に醜いのだろうか」ということを考えさせられる内容となっている。
累計発行部数は12巻の時点で200万部を突破、2015年には第39回講談社漫画賞の一般部門にノミネート。他、全国書店員が選んだおすすめコミック2015で9位、次にくるマンガ大賞2015「これから売れて欲しいマンガ」部門で10位、マンガ大賞2015で10位を獲得している。2018年9月7日には実写映画が公開された。監督は佐藤祐市。土屋太鳳と芳根京子がダブル主演を務めた。第18回ヌーシャテル国際ファンタスティック映画祭で「観客賞」を受賞。

『累(かさね)』のあらすじ・ストーリー

小学生時代

つり上がった目、引き裂かれたような口。今は亡き伝説の女優・淵透世の娘・淵累は、亡き母とは似ても似つかない醜い容姿をしていた。その容姿ゆえに小学校でも周囲からいじめられており、自身の容姿を憎んですらいた。「何故私は生きてる。何故美しい母ではなく私が」。ある日累は学芸会の主役に同級生から推薦される。これはいじめの一貫で醜い顔した累にあえてシンデレラの役をやらせようというものだった。伝説の女優の実の娘であるにも関わらず醜い顔した累は「似てないにも程がある、信じられない」とクラスメイトに罵倒され足蹴にされていた。累は晒し者にされようとしていることに気がついていたが、その役を受けることにした。累は密かに女優になることに憧れていたのだ。もし舞台で凄い演技を見せることができれば、自分が大女優の娘だと認めてもらえるかもしれない。教室での舞台練習で、累は主役であるにも拘らず同級生のイチカに教室から閉め出されてしまう。主役不在のまま続けられるシンデレラの練習。それでも累は河原で独り滑舌の練習に暮れるのだった。

そして本番当日。照明の眩しさ、舞台の広さ。底しれぬ不安に体がこわばっていくのを累は感じていた。シンデレラとして舞台に立った累。引き裂かれたような口に真っ赤な口紅を塗った累の姿に観客達はざわめき立つ。それでも累は自分に言い聞かせた。「ここはママがいた世界。ママが見ている。私はいま私ではない」。そして奇異な目に晒されながらもシンデレラを演じ始める累。「美しいドレス。おいしそうな料理。輝くシャンデリア!」。次第に累の演技に観客達は惹かれていく。「一度でいいからわたしも行ってみたい。ここから抜け出して。けど、わたしの声を聞いてくれるのはお月さまだけ」。一心不乱に演技する累。

いつしか観客席からは「淵の演技すごくない?」「あんなだけど淵さん頑張ってたよね」といった感嘆の言葉が漏れ出す。その様子を見たイチカはシンデレラ役を急遽自分と交換するよう累を脅す。あれだけの演技を見せても結局イチカの態度は変わらず、累は「私の顔では母の娘だと証明することすらできないのだ」と絶望する。諦めかけた累だったが、生前の母のある言葉を思い出す。「本当に本当につらいときは……ママのひきだしの中の赤い口紅を……」。先日の悪夢の中で出てきた母の言葉が累の背中を押す。「口紅をぬってあなたのほしいものにくちづけを」。そして母から受け継いだ口紅をぬってイチカとくちづけをした累はイチカと顔がすり替わっていた。美しい顔を手に入れた累は羨望の眼差しを受けながら舞台に再び立った。そこに醜く暗く卑屈な淵累の姿はなく、蔑み哀れみでもない美しい者を称賛する眼差しが累に注がれる。一面に響き渡る拍手喝采を受け累は、母の顔が母のものではない可能性に気づいたのだった。

眠り姫 丹沢ニナ

18歳になった累は背も伸び体も大人になっていた。ある日母をよく知る羽生田釿互と出会う。羽生田は淵透世の秘密を守るためにずっと協力していたと言う。後ほど明かされるが羽生田は誘と同郷で、血縁上は誘の従兄弟にあたる。誘というのは累の母の本名だ。羽生田は誘の生い立ちや口紅の存在を知った上で誘に心酔し、舞台の大道具として働きながら「女優・淵透世」を支えていたという。そして母・誘も「他人の顔と人生を盗み取って生きていた」ことを告げられるのだった。

羽生田に舞台に連れられ、累は、無名の美人女優・丹沢ニナに出会う。ニナは眠り姫症候群という睡眠障害を患っていた。急に眠りに落ち数週間の間目覚めない。演技中に気を失うように眠ってしまうニナは、とても女優を続けれるような状態ではなかった。医者からは成人するまでに治ると言われていたが、二十歳になって再発してしまう。親からは後2年頑張って治らないなら女優の道を諦めるように諭されてしまう。何が何でも2年後まで舞台に立ち続けたいニナ。そこでニナは累と顔を入れ替えられることを身を持って知る。そして羽生田から「累がニナの顔を使い舞台に立ち続ける」ことを提案される。病が完治するまでは、累にニナとして演技してもらえれば、女優としての道が断たれなくて済む。ニナと利害が一致した累は、ニナと顔を交換し女優活動を開始するのだった。そして丹沢ニナとして累はあるオーディションを受けることになる。烏合零太が演出を務める舞台チェーホフの『かもめ』のニーナ役だった。まるで人格が入れ替わったような演技を見せる累。美しいだけでなく何か突出したものを累に感じた烏合。有名演出家の烏合に認められた累は見事高倍率のオーディションに合格したのだった。そんな烏合からのまなざしに過去に浴びた容姿を鑑賞されるときに味わったものとはちがう、まるで心の内側まで触れられる感覚を感じていた。生まれて始めての感覚に累は怖れすら感じてしまうが、次第にその感覚が「恋」であることに気が付いていく。

ある日キスシーンでつまっているのには何か理由があるのかと烏合に問われた累は、自分が男性とキスをしたことがないことを打ち明ける。そして演技研究の一貫ではなく烏合にキスを求めた累。次第に二人は恋愛関係へと発展していく。そんな烏合と累のキスシーンを見てしまったニナは、顔だけでなく全てを奪われてしまうのではないかと恐れた。口紅の効果が12時間で切れてしまうことを知っていたニナは口紅を累から奪ってしまう。自らの顔に戻ってから累を出し抜いて烏合に会いに行こうとしたのだ。しかし、再び眠り姫症候群により長い眠りについてしまうニナ。目を覚ました後に、ニナの顔で女優として更なる活躍をする累を目の当たりにするのだった。「私はもうニーナでも丹沢ニナでも誰でもないのよ!誰の記憶の中にも存在していない!」。絶望したニナはビルの屋上から飛び降りてしまう。一命は取り留めたが植物状態になってしまった。

植物状態のニナの顔を使い、順調に女優活動を続ける累。オスカー・ワイルドの舞台『サロメ』への出演が決まる。累は自分がどうするべきがわからないままニナの姿で舞台に立ち続けていた。「美しくも恐ろしい処女でありながら妖艶なユダヤの女王・サロメ」。「うまくいけばサロメはお前の運命の役となり丹沢ニナは演劇界に一層名を馳せるだろう」と羽生田は言った。次第にサロメ役を掴んでいく累。母ヘロディアの原罪を血と共に受け継いだサロメは純血でありながら罪深く穢れている。「お前は呪われているのだ」。醜い顔を誘から受け継いだ累はサロメと自分を重ね合わせしまった。目の前に現れた誘の幻影にこう問いかける。「あなたに導かれてここまで来たけれど私はこれからもあなたに手をひかれていくべきなの?」。「一体誰の意志で舞台に立っているんだ」という共演者の雨野申彦の言葉を胸に『サロメ』の本番を迎える累。「奈落の底から光の下へ。私は私の意志で這い上がる」。舞台上で誘の幻影を振り払った累はサロメとして輝かしい演技を見せたのだった。

透世の面影をもつ美少女 野菊

『サロメ』を成功させた累はいつしか「淵透世の再来」とまで呼ばれるようになっていた。ある日累は劇場で「母・淵透世」と瓜二つの顔を持つ野菊という女性と出会う。「見れば見るほど似ている……似すぎている!」。この子をどうしても引きとめなくてはならないような気がした累は野菊をお茶に誘う。一緒にケーキを食べていると急に泣き出す野菊。「急に気が緩んでしまって……こんなふうにやさしくされたこと……無いから……」。泣いている野菊を見て累は、まるで母が生きて泣いているようと錯覚するのだった。しかし実は野菊はあの累の父でもある海道与の娘で、幼い頃から監禁された後、与を殴り殺し屋敷から逃亡した身だったのだ。そして野菊は幼少期に「母(淵透世本人)と累の母(誘)が顔を入れ替えている現場」を目撃し誘の所業を知ったことから、母と自分を不幸に追いやった誘のことを強く恨み、誘の娘である累に復讐することを決意していた。

野菊は家を出てからは娼婦として生計を立てていた。ある日、野菊は累とお茶をし、別れた後の帰り道に客のうちの一人に付け回される。必死に逃げながら累に電話で助けを求める野菊。累は匿うため自宅に野菊を迎え入れる。そして野菊は奥の部屋にいた醜い顔をした植物状態のニナを見つけてしまい直感した。累も誘同様に他人と顔を入れ替えていると。今度は累の部屋に侵入した野菊は横たわるニナが指を動かしていることに気づく。実はニナはずっと意識があり自殺を強く望んでいたのだ。そのことに気がついた野菊は狼狽するが、ニナのことを想い望み通り死を与えたのであった。

咲朱(さき)の誕生

植物状態だったニナが死んだことにより、ニナの顔を使うことができなくなった累は、本来の醜い顔で生活することになった。しかし直前まで美人女優として羨望の眼差しを受けていた累は再び周りから蔑まれることに耐えられなかった。「生きる最後のその瞬間まで光の中で美しく在りたい」、そう願うのだった。累は再度野菊と接触し顔を入れ替える取引を持ちかける。この時のニナを殺したのは野菊ということを累はまだ知らなかったが、野菊の顔を使いたい累と、復讐を企てる野菊の思惑が一致し、累は野菊の顔で「咲朱(さき)」として再び女優活動を再開することになった。

咲朱として初の舞台は奇しくも淵透世の最後の舞台となったシェイクスピアの『マクベス』のマクベス夫人となった。夫を王位に就かせるべく、あらゆる殺人を後押しする残忍な妃。淵透世の運命は『マクベス』以降狂い始めたのだ。母の破滅の引き金を引いたマクベス夫人を演じることになった累だが野菊の協力のもと公演を成功させていく。しかし、その協力は仮初だった。口紅は半日で効果が切れる。野菊はマクベスの最後の演目時に口紅の効力を切れさせ累本来の顔を舞台上で曝け出そうと画策していたのだ。だが、その本番で口紅の効力が切れることはなかった。舞台上で野菊に対して不敵な笑みを浮かべる咲朱。

咲朱は野菊の「口紅をすり替える」という復讐に勘付いていたのだ。野菊が累を勇気づけようとして使った文句「過去や罪は消えなくともお前は歩いていけるはずだ。私も共にその地獄を歩んでやろう」。このセリフは元々累と野菊の父である海道与のもので、傍で聞いていた羽生田はピンときた。海道は妻の過去や罪を知っていたからこの言葉を使ったため、野菊も累が罪を背負っていること、つまりニナの顔を奪い死へと追いやったことを知っていたのではないか、と気づいたのだ。そして素性と思惑がバレた野菊は羽生田に監禁される。

五十嵐幾との再開

累に高校時代の先輩でもある女優・五十嵐幾とダブルキャストの舞台の仕事が入る。幾は咲朱の鮮烈に咲き誇る演技に既視感を覚える。それは舞台『サロメ』のヒロイン「丹沢ニナ」だった。「演技にしっかりめりはりがあるのに最後まで音が落ちなかった。底知れない才能のかたまりだわ……」。舞台に出ていく勇気すら失くしてしまっていた時、「丹沢ニナ」の演技を見てふたたび演劇への欲求が湧いてきたのだった。舞台への渇望。別人のはずなのに無意識のうちに幾は咲朱の中の累を感じ取っていたのかもしれない。そんな時、幾は道端で「淵 累」を知る人物から話しかけられる。男の名は天ヶ崎祐賭といい、大事な人を助けるため累について調べているという。幾は野菊の情夫・天ヶ崎から咲朱は人の顔と声を奪った累であることを明かされる。通常であれば信じられない話だが、丹沢ニナだけでなく高校時代にジョバンニ役を演じた際の記憶が無かったことなど、いくつも疑念を持っていた幾は天ヶ崎の話に耳を傾けた。「あいつは人の顔を奪うんです。顔を奪い、声を奪い、名前を変えてあなたのすぐそばにいる。美貌の女優咲朱として!!」。

上演前日、野菊が自身の情夫・天ヶ崎祐賭と五十嵐幾の協力で累の元から逃亡する。累の住処を見つけた天ヶ崎は累が不在になる日を狙っていた。最終リハーサル後、幾が咲朱を引き付けている間に、天ヶ崎が野菊を救出した。監禁された野菊は羽生田に監視されていたが、天ヶ崎は羽生田の太ももを包丁で刺し気絶させ野菊を救出した。野菊を失い咲朱として活動できなくなった累は、消息を絶つ。累は自身のルーツである母の故郷「朱磐」へと向かっていたのだ。

誘の真意

そこで再び出会った羽生田より母誘の生い立ちや口紅の正体を告げられ一つの決意を固める。羽生田は誘が生きていた頃は舞台の大道具として彼女をサポートし、この時期に演出家として与や富士原に師事していた。「再び口紅を使い……お前に主演をつとめて欲しい。それがおれの願いであり、お前が照明の下に戻ることが誘さんの願いでもあるはずだ」。羽生田の願いに対し「私は誘ではない。けど、血が……彼女の想いを才を芸を私の身に伝えた。あなたの舞台に出るわ」と言い、羽生田が密かに書き綴っていた舞台『暁の姫』に出演することを決意する累。それぞれの想いを胸に再び対峙した累と野菊。「次の舞台を最後にする」という累に対し、また監禁されると恐れ疑う野菊。そこで累は口紅を野菊に渡し主導権を渡した。それを見て焦った羽生田は「口紅になにかすればお前こそ無事で済むと思うなよ、あの天ヶ崎とかいう高校教師ともどもな」と脅す。脅された野菊は再び累と顔を入れ替え、咲朱を復帰させることに渋々同意する。

羽生田の舞台『暁の姫』は母の出生の地である「朱磐」の伝承をモチーフにした内容だった。美しい巫女と醜い鬼女の生きた昔から対をなしてもつれ合う誘と透世、累と野菊。その運命のらせんがそのまま台本に描かれていた。それは誘をはじめから見てきた羽生田にしか書けない物語だった。累はどうしてもこの舞台に出たいと強く思う。そして誘もまた、生前にまだ粗削りの『暁の姫』の原稿を読んだとき、涙を流しながら「これは私が舞うべき物語だ」と言っていた。結局誘の出演は実現しなかったが、才能を受け継いだ累ならこの舞台を実現できる。羽生田は累が再び美しい女の姿でこの舞台を演じることを強く願っていた。

羽生田は口紅により顔を「永久交換」する方法を知っていた。海道与の弟で考古学者だった海道凪の手記から解読したという。顔を交換する両者の血液を紅に混ぜ使うことで可能となるのだった。羽生田に無理やり野菊と顔を永久交換されそうになる累。そこで累は幼い頃累を助けて川で死んだのが誘ではなく淵 透世本人だったことを教えた。「おれを惑わしたければもっとましな嘘をつけ!」と気が動転する羽生田。それもそのはず、川で死んだのが「淵 透世」本人だとしたら、自らの手で殺したと思っていた女性は誘だったことになる。「あり得ない、そんなこと……」。累は自分の言っていることが本当であれば母のことを教えるよう、羽生田に約束させた。

真実を知るために羽生田は17年前に誘を掃除婦として雇っていた劇場のオーナー夫人を訪れる。そこで淵 透世が川で亡くなる数日前に誘が劇場を借りに来たこと、そして羽生田が書いた脚本『暁の姫』を舞っていたことを知る。つまり淵 透世が死ぬ直前、二人は顔を元に戻していたことになる。羽生田は海道 凪の依頼により瀕死状態の「淵 透世」の息の根を止めたが、本物の「淵 透世」と思って殺した相手が実は誘だったことになる。「人生をささげても愛したそのひとをおれはこの手で……」と絶望する羽生田に対し累は「母誘が演じたかったのは美しい巫女の暁ではなく、醜い鬼女の宵だった」こと、そして今自分も母と同じことを望んでいることを伝えた。

誘と凪

羽生田との賭けに勝った累は母の出生について教わる。誘が生まれた土地「朱磐村」には「丙午の年に醜い子が生まれたら殺せ」という因習があった。したがって誘は生まれてすぐ殺されるはずだったが、朱磐村の外から嫁いできた人間で助産師の平坂 千草により救い出された。そして千草は誘を村民から隠して育て上げた。そんな誘の運命を変えたものこそあの「口紅」だった。

当時、「海道与」の弟で考古学者の「海道 凪」が古代の朱顔料の研究の一環で朱磐村に訪れていた。朱磐の忌むべき伝承を調べる誘と、朱磐に眠る幻の古代朱「日紅」を探す海道 凪。二人は羽生田を橋渡しに手紙で情報のやり取りをしていた。そうして日紅について情報交換をかさねる内、ついに誘はその実物を探し当てるに至った。口紅は「日紅」を原料にして作られたものだったのだ。しかしそれは手紙の相手への想いゆえ成し得たことだろう。誘は海道 凪を愛してしまっていた。だが、その恋心は朱磐を焼き尽くす業火の火種と変わった。ある日誘は、村の娘波乃と海道 凪が恋仲となっている姿を見てしまった。誘と同じ家、同じ年に生まれ醜い誘が存在を消された一方で波乃は愛されて育った。自分を忌み嫌い因習によって殺そうとした村の人々を恨み、なにより自分自身の醜さを呪っていた誘。彼女は日紅の力を使い浪乃の顔を奪い、村の者たちを殺し村に火を放った。「丙午生まれのみにくい女児は殺さねば鬼女の魂をもって災いをもたらす」という伝承を誘は現実のものとした。羽生田はその村の唯一の生き残りだったのだ。そして村を出た誘は町に行き、野菊の母である本来の「淵透世」と出会ったのだった。

「淵透世」と出会った誘は、劇場の掃除婦として働きながらつけいる機を探っていた。ある日透世が熱で倒れた際に、寝込む透世に気づかれないように顔を入れ替え舞台に立つ。そこで誘は練習も無しに素晴らしい演技を魅せたのだった。翌日、誘は透世に顔を入れ替えて舞台に立ったことを明かす。そして実際にその場で顔を入れ替えてみせたのだった。人が好い透世は、誘が女優として活動することに協力することに同意し、透世と顔を入れ替える契約をする。透世の顔を手に入れた誘は自身が想いを寄せる海道 凪に会いに行った。偶然を装い海道 凪と出会い、徐々に距離を詰める二人だったが海道 凪は失った恋人浪乃を忘れることができずにいた。浪乃は死んで尚しぶとかった。それでもいつかきっと凪は自分を愛してくれると信じていた誘。しかしある日、凪に透世と顔を入れ替えるため口づけをしているところを見られてしまう。透世に疑惑を持った凪は日紅と誘について正体を探り当ててしまう。そして凪は「こんな恐ろしい呪具をもう誰も手にできないように、すべて元の場所におさめてくる」ことを誓う。
誘と共に3年ぶりに朱磐へと向かった凪。そこで誘は決して凪は自分を愛してくれないことを悟る。「あなたに愛されないならば私にいきる意味はありません。まして私はあなたの恋人を殺した女。生きていては……いえ生まれてはいけなかった」。誘は自らを育ててくれた平坂 千草の家に火を付け自殺を図る。しかし燃え盛る火の中、現場に現れた羽生田により救出される。しかし凪は崩壊した家屋の下敷きになり死んでしまう。羽生田は取り残された誘から「殺してくれ」と何度もせがまれたができなかった。それ以来羽生田は一生誘の奴隷として生きようと決めた。

その後、誘は凪の幻影を求めて海道与に惹かれていく。誘と与は結婚するが、生まれてきた子供(累)の顔が醜いことが発端に、誘と淵透世が顔を入れ替えていたことを知ってしまう。激怒した与は誘母娘を家から追い出し、本来の透世を妻として迎え、透世との子(野菊)が生まれる。しかし、本来の透世は自分を惹きつけた大女優「淵透世」とは顔は同じでもあくまで別人だった。幻影に囚われたように現実を受け入れられず徐々に狂っていく与。そして与は再度誘を家に向かい入れ、誘と透世の顔を入れ替えさせ妻として再び迎える。そして醜い顔になった本来の透世は地下室に監禁されてしまう。

累の決意

凪が亡き後、誘は凪への懺悔の言葉を手紙というかたちで記していた。凪だけでなく羽生田の人生も狂わせてしまったこと。羽生田が書いた台本『暁の姫』で醜いはずの宵という役に自分を重ね、立ち戻ろうとしたこと。自身に似た娘の存在に戸惑い、愛していることに気づくのに時間を要したこと。そして累に「口紅」を託したこと。そして現在野菊と対峙する累。「私にとっては人から醜いとされるものも人から美しいとされるものも同じ異形でしかないわ。母が守ろうとしたあなたが今も望むなら顔を永久に交換したとして私に失うものはない」。野菊はそう言うが累は野菊と顔を入れ替えることを拒否するのだった。「ありがとう。けど私はもう望まない。それに……誘にも透世にも翻弄されることなく私たちは私たちのけじめをつけなければ」。

ついに累はあの口紅がもたらす全ての可能性を捨てたのだった。残ったものは怖れと不安。劣等感と羞恥心、そんなものばかりの身体で化け物は這いずり出す。ただ醜く奈落の底から。累は『暁の姫』の宵役をありのままの醜い顔で演じることを決意する。累の不在で一度は頓挫した『暁の姫』だったが、累が宵役をやることにより、『宵暁の姫』として再び始動するのだった。

舞台『宵暁の姫』

『宵暁の姫』の宵役ををありのままの醜い顔で演じる累。しかし、醜い顔を身体が拒絶する。結局演技どころか台詞のひと節も声にならぬまま初日の稽古は終っていった。「ニナの可憐な唇なら。咲朱の冷艶な瞳なら。どう微笑みどう睨むのか考えずとも自然にあらわせた。しかし今このいびつな表情筋を繕われた皮膚をどう動かせばいい?」。累は本来の自分の顔では上手く演じることができなかった。そんな累を見て羽生田は累の頭を鏡に押し付け「鬼女はその醜さゆえにあらかじめ全てを奪われていた。そんな彼女は人々に対しただ哀しみに暮れるのか。いやうらみ憤るだろう。目を吊り上げ牙をむき奈落の底からにらみあげる。お前もそうしてきたように」と言った。「私の怒りはまわりにこう見えているの?」。自身から目を背けてきた累。しかし「役者はそれを見なければならない。顔も身体も声もすべて表現のための道具だからだ。そして俺自身も……見るべきだったんだ」という羽生田の言葉を受け、累は初めて本当の自分自身と向き合う。見違えるように宵役を演じるようになった累。少しずつ自分への評価があらためられてゆく。

しかしその演技は咲朱の頃のような絶賛されるような演技とは程遠かった。「あの程度……ということなのか?美しささえ欠けてしまえば」。美しく在りたい、という執念を失った累、それでも羽生田は累に未知の可能性を感じていた。いざ迎えた本番初日、観客席に見知った顔がいることに気づく。舞台『かもめ』や『マクベス』で共演した雨野 申彦だった。「あなたの瞳が私の醜い容姿を見る……駄目よ落ち着いて!萎縮してはいけない」。かつての恋人で認め合い高め合う仲だった。「なおも私は役者であらねば、あなたに恥ずかしくないように!」。必死に演技する累だったが思い通りに自分を操れない。「こんなはずじゃ……私の演技は!!!」と本来の演技ができない自分に悔しむ。このままじゃ終われない、そう思った累は本来の醜い顔で雨野に話しかける。「ニナも咲朱も私の中にいる。だから自分でも無謀だとわかる。この醜い身でどんなに追いかけてもかつての彼女たちには届きようもないもの」。自身の素性を明かした累に対し雨野は「消えた女優など追うものではない。それがかつての自分であるなら尚更だ」と答える。もう一度見に来てくれないかお願いする累を後に雨野はその場を去るのだった。

雨野にあんな演技しか見せれなかった。これまでさんざん醜い姿を嘲笑されてきたがこれほどの悔しさを知らなかった。それ以降累の演技は変わった。最終公演でラストシーンを追加した羽生田。「俺はもうお前の向こうに誘の面影など見ていない。咲朱やニナや淵 透世に届こうと追うのはやめろ」。そして羽生田は『宵暁の姫』の台本を手に取り、これはお前の物語だ、と言った。「二目と見られぬおぞましさが無様さが滑稽さがお前の生き様であるならどれだけ醜かろうとかまわない!それが……淵 累でさえあれば」。

そして最終公演、鬼気迫る演技を見せる累。長い長い物語の線状から外れて未知の果てへと向かう女の生き様。「ともに終らせてやろう……この地のすべてを」。黒々とした執念、憎悪、荒げぬ哀しみ。鬼女の巫女「宵」は累の生涯そのものだった。宵は舞う、光に焼かれるが蛾のように。下手で無様で醜くおぞましく滑稽そのもの。「ああ……こんなにも星空が、私を見ている……」。美しいものに光を、醜いものに闇を。それでも宵は光を求めるのだった。おぞましいほど醜い顔持って生まれた累が、輝かしい舞台に立つことを望んだように。気が付くと羽生田が聞いたことがないほど舞台は観客の熱狂と拍手で包まれていた。
しかし、舞台を降りた累を待っていたのは包丁を持ったニナの母「丹沢 紡美」だった。ニナの日記を見て全てを知った紡美は累に手を下す。喉を引き裂かれて瀕死になる累。「死んでもらうつもりだったけどそれでは分に合わないわね。あなたがただきれいな記憶として満足に死にゆくなんて許さないわ」。口紅を自らの口に塗り瀕死の累と口づけをかわす紡美。紡美は私から「淵 累」を奪っていった。

結末

紡美と全身を「永久交換」された累。あの日から年を経て老いた肉体と「淵 累」殺害の前科と世から離されて生きる孤独の日々が累のすべてになった。「ニナ、これがあなたから課せられた運命なら私は自らの正体も口紅の力のことも誰にも話すつもりはない。ただ今、自分を奪われ忘れ去られることへの恐怖とさびしさを私も感じている」。「別人として生き老いてゆく今ですら私の身の内にいる累は時が経つほど鮮明に輝く。私が私を望む限り」。
あれほど呪った自分自身を、累は最後に強く望むのだった。ニナの日記を紡美に渡すよう野菊に頼んだのは累本人だった。自身と野菊の罪を紡美の手に委ねたのだった。野菊は生き延び累は死んだ。そして羽生田は錯乱し、狂気の中で累を探し続けていた。「お前が……お前が死ぬはずはないんだ!!!お前は確かにこれからと口にした!!お前はおれとまた舞台をやるんだ……!!」。やがて時を経ていくつもの冬と春がすぎようと。その人を思い浮かべ愛しむ限り。永遠に。羽生田が、累が入れ替わった紡美の家を訪れるシーンで物語は終る。

『累(かさね)』の登場人物・キャラクター

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